お母さん、あすぼくは軍の小法廷に出頭します。そこで検事から簡単な取り調べを受けるはずです。そのあとすぐに、軍法刑務所に移送されることになるでしょう。
お母さん、ぼくは事実をありのままに話すつもりです。自分がしたことを否定するつもりはありません。それはたしかにこのぼくがしたのですから。刑はすみやかに確定するはずです。ほんとうは裁判なども必要ないと思っているくらいです。刑の執行手続きだけで充分です。ですから近いうちに、すべては明かされるでしょう。ただそのまえに、お母さん、あなたにだけお話ししておきたいのです。
お母さん、きのうあなたはぼくの質問に、「いいえ、わたしは知らないよ」とおっしゃいました。それが真実なのか、それともぼくにたいするお心づかいなのか、ぼくにはわかりません。いずれにしても、きのうぼくはあなたに話すことができなかった。なぜ話せなかったのか、あれがぼくにとってたいした出来事ではなく、たんなる過去の一エピソードにすぎないからなのか、それとも、釈明しようもないくらい取り返しのつかない重大なあやまちだからなのか、じつは自分でもよくわからないのです。もちろん、あやまちならほかにもいろいろありました。それらについて、これまであなたになんの隠しごともなかったとは申しません。ただ、きのう話せなかったあのことのために、お母さん、ぼくはあなたに二度とお目にかかれないかもしれません。今晩のうちに、いや今晩こそは、あなたにお話ししておかなければならないのです。
さっきまで、ぼくは夢を見ていました。二十年前まで、ぼくたち三人が、身体を寄せあって暮らしていた懐かしい部屋、いまごろあなたが眠っている部屋、もう二度とぼくが帰れないかもしれない部屋、ぼくはそこにいました。きれいに片づけられた食卓のうえに、むせかえるような薔薇の花束が投げ出されてありました。そうです、きのうあなたといっしょに行った野外彫刻展で、ルリの出品作、あのガラスの温室のなかに咲き誇っていた白い薔薇、あんな薔薇です。投げ出された花束のうしろから、お母さんとルリが温室の白薔薇に埋もれて微笑んでいるスナップ写真が、隠れるように覗いているのが見えました。朝のまぶしい陽ざしが、花束のうえに、微笑みのうえに、降りそそいでいました。ああ、もうこれで充分だ、そう思いました。なぜぼくはこの部屋にいるのか。忘れ物でも取りに? いいえ、理由などもうどうでもいい、あとはただ立ち去るだけ、それだけです。
おとといの帰還祝賀会は、大盛況でした。祝賀会のことも、あまりお話ししていませんでしたね。総理以下、軍の上層部が多数列席していました。それに、あのマスコミの数ときたら。会場のあちこちでカメラのフラッシュが入り乱れていました。ぼくなども何枚の写真を撮られたことでしょう。外国の報道陣もかなり来ていたようです。
なにしろ十年です。十年ものあいだ、ぼくたちは、地球から十億キロメートルも離れたあの星に、この国の三百万人もの人間を植民することのできる宇宙都市を建設してきたのです。それはもうたいへんな事業でした。いくたび挫けそうになったことでしょう。思いかえしてみれば、ぼくたちの手であれだけのことができたなんて、とても信じられないほどです。いまはその困難をかいつまんでお話しすることもいたしません。いずれにせよ、ぼくたちが建設した宇宙都市は、確実にこの国に新たな歴史の一頁を開いていくでしょう。帰還祝賀会であれだけの歓迎を受けても、ぼくたちとしてはなんら驚くべきことではありませんでした。
お母さん、きのうの野外彫刻展で、まるで恐竜の化石のようなブロンズ製の飛行機を見ましたよね。彫り出したばかりの鑿の痕もなまなましく、茶褐色のごつごつした胴体をにぶく光らせ、土手の頂きのうえで窮屈そうに寝そべっていた、あれです。アフリカの砂漠にぼくらの宇宙船が不時着したあと、そこからぼくたちはあの飛行機に乗って、この国に帰ってきたのです。なんでも、つい先だっての宇宙就航二百周年を記念して、ほんらいは展示用に作られたものだそうです。なにしろいまの飛行機の一万倍の重さという、酔狂な代物です。わざわざ飛ばすためには、国家予算の一パーセントに相当する費用がかかるそうです。そんなご大層な骨董品で出迎えられたのですから、ぼくたちの栄誉がどれほど国を揚げて讃えられていたか、おわかりでしょう。
そうです、ぼくたちは歓迎されました。十年間におよぶ大事業の終わりです。そしてあの、気の遠くなるような労苦から解放されたのです。晴れがましいフラッシュの光と歓声、そしてなによりも無事に帰ってきたという安堵感に包まれて、ぼくは酔っていました。足が地につかないような、夢でも見ているようなかんじでした。たしかに帰ってきたという現実に、まだ慣れていなかったのだと思います。むしろ、この十年間の数えきれない労苦のほうが、夢だったのではないかとさえ思われました。そうして、ぼくはあれを忘れたのです。でも、あれは夢ではなかった。この十年間に味わったさまざまな困難と同様に、たしかな、そして絶対に拭い去ることのできない、現実でした。
十年前、ぼくは愛人を殺しました。
しかたがなかったのです。いまでもそう思っています。あの星に出発する一週間まえでした。
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