待ち合わせた駅でお母さん、あなたと別れたあと、ぼくはまっすぐ「神田屋」に帰りました。時刻は午後五時、待ち合わせからちょうど四時間後の帰館です。広間にはだれもいませんでした。さすがに疲れが出たらしく、畳に横になるなり二時間ほどうたた寝をしていました。そのときに、最初にお話しした夢を見たのです。

 夢から醒めたら、あたりは暗くなっていました。開けはなたれたサッシから、夕餉の匂いが湿った風に運ばれてきました。なんだか胸騒ぎをおぼえました。おまえにはやり残していることがある。おまえは何者だ。おまえがいまこうして、つかのまの休息を得ているのは、なんのためだ。さあ、思い出せ――、夢の切れ端がそうぼくに呼びかけているようです。

 さっきまでお母さん、あなたとご一緒していたあいだは、ほんとうのことは言わないほうがいい、そう思っていました。すべてはぼく自身の意志から発して、こうなるべくしてなった結末だ。ほかにはどうにもなりようがなかったのだ。いいわけをする気もない。後悔もない。いずれ事の真相はだれの目にも明らかに公開されるだろう。いまはただ、「いいえ、わたしは知らないよ」、それだけでいい。だってお母さん、あなたはぼくがいったいなにをしたのか、それを知ろうともなさらなかったのですから!

 いいえ、そうではありません。お母さん、あなたはご存じだったのですね。あなたはテレビの中継をご覧になったでしょう。あのなつかしいお父さんの靴、そのなかに浮かんだ、血まみれの手首……、あれを見てあなたは、すべてを理解されたのでしょう。なぜぼくが、愛しいひとを殺さなければならなかったのか。なぜあの手首が、血の涙をながして慟哭しているのか。そうです。そのすべてをです。

 たとえそうだとしても、お母さん、ぼくはやはりあなたに話しておかなければならなかったのです。その理由は単純ですが、説明するのは難しい。強いて言えば、それでもぼくはあなたの息子だからです。ぼくはこうして、あなたの家族であることから難破して、艫は水中に没し、あのときの夕陽はいまやほとんど暮れようとしていますが、それでもまだ、いえ、いつまでも、ぼくはあなたの息子なのです。

 もうすぐ五時です。こうしてあなたに話しはじめてから、一〇時間が経とうとしています。そろそろ夜が明けてきました。すがすがしい気分です。もうお話しすることはありません。おおよそ検討はついていることを、あらためて本人の口から聞かされるのは愉快なことではなかったかもしれませんが、ここまで聞いていただいて感謝しています。聞きおわったら、ディスクは処分してください。ルリには聞かせないでください。もっとも、聞けと言っても嫌がるでしょうが。

 さようなら、お母さん。もうお目にかかることはないでしょう。ひょっとしたら、ぼくはまた愛人に会えるかもしれません。そのときには、こんな結末になったことの許しを乞うつもりです。また一緒になかよくやれたらよいのですが。あるいは軍があの手首からクローンを再生するかもしれません。こんなことにならなかったならぼくがそうしていたように。でもそれは断じてあの女ではありませんから、お母さん、けっして引き取ったりしないでください。

 お母さん、ぼくはあなたが半生を捧げるにあたいする息子でしたか?
(了)

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