野外彫刻展の会場に着くころには、雲と風が出てきていました。夕立ちがくるのではと心配しましたが、降らなくてよかったですね。むしろ陽ざしが弱まったぶんしのぎやすく、作品の鑑賞にはよい日よりだったようです。土手のうえのあの強風には閉口しましたけれども。

 作品が設置してある河原の土手に上がると、川の上流も下流もよく見渡せました。まず驚いたのは、あのブロンズ製の飛行機です。ぼくらをこの国にまで運んでくれた飛行機に、こんなところで再会できるとは思いもしませんでした。今後はもう、ふたたび空へ飛びたつこともないのでしょう。胴体の乗客用の小窓に、雨気をふくんだ入道雲が映っていたのが、すこし哀れをさそいました。

 お母さんが気に入ったのは、鋼の穂先のような細長いステンレス柱が、まっすぐ天球を指している作品でしたね。高さは十五メートルぐらいでしょうか、先にいくほどかぼそくなって、下から見上げると尖端は上空の風にあおられかすかにけぶり、薄墨色の空にあわく溶けこんでしまうかのようでした。柱の二メートルくらいの高さに備えつけられたスピーカーから、調子はずれの倍音が響いていましたが、あれがなんだかわかりましたか。穂先の振動を感知して、そのつど風の強さを音に変換していたのです。

 あれを見てぼくは、あの星に立てられていた鉄塔を思い出しました。二〇〇メートルの高さがありましたが、あの鉄塔も先端部分で電磁波を感知して、その強弱を音で知らせていたのです。宇宙基地でぼくらは、四六時中その音を聴いていました。蟋蟀が鳴くような音でした。宇宙の暗がりの、あのはてしない虚空から伝わってくる、あれが唯一の身体で感じられる情報でした。

 それから、土手のきわに沿って米俵みたいなものがいくつも積み重ねてありましたよね。お母さんはきっと、増水から一時的に作品を守る堤か、護岸工事のために用意してある砂利袋だとでも思って、気にもとめていなかったことでしょう。あのときは説明しませんでしたが、あれはれっきとした作品だったんですよ。

 いまからもう二世紀近くもむかし、この国にも「もの派」という美術運動があって、木だとか石だとか、あんなような土木用品だとかをただそこいらに放置するだけで、意味深い作品として認められていたようです。もちろんぼくはその手の教科書でしか見たことがありませんが、作品をどうこう言うより、いまでもこんなことをやっている美術家がいるという事実に、ほとんど感動してしまいました。笑いをこらえるのに苦労しました。

 ルリの温室は小さいうえに直方体で、立ててあるからまだいいのですが、横たえてあったらガラスの柩みたいで、ちょっと不気味でしたね。もっともそれも作者が意図したことでしょうから、批評にはなりませんが。でも、鑑賞者が立ったままあのなかに入れるというアイディアは、秀逸です。入ってみた感想ですか? 白薔薇の、息もつけないほどむせかえる匂いと、あのしっとりとしたぬくもり。想像以上に花びらの感触がなまあたたかく、心地よくて、薔薇の刺はさほど気になりませんでした。お母さんもそうでしたね、ぼくもなかで思わず目を閉じていたはずです。

 お母さんは会場から家に電話をして、わざわざルリを呼び出してくださいました。結局ぼくはルリと話すことはできませんでしたが、お母さんとのあのちぐはぐなやりとりから察するに、おおかた寝起きだったのでしょう。「兄さんがここにいるんだよ。十年ぶりじゃないか」とせっかくおっしゃってくださったのに、どうせあいつは、「だって眠いんだよう」とでも答えていたにちがいありません。もう夕方になろうというのに、まったくわが妹ながら横着なやつです。

 それにしても、ルリもちゃんと美術作家になったのですね。ぼくが出発するとき、ルリはまだ美大の一年生でした。あんな窮屈で隠微な世界で、あれでけっこう繊細なルリがやっていけるのかと、これでもすこしは心配していたのですが、どうやらものになりそうなので、安心しました。ルリに伝えておいてください、「がんばれよ、なかなかいい線いってるぞ」と。


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