「おかえり。いまどこにいるんだい。」はじめにそう聞かれたとき、何と答えていいか、ぼくは戸惑いました。「祝賀会のあとホテルに移動して、いまもまだ取材やら何やらで拘束されている」、たしかそう答えましたね。「それじゃあ、今晩はここには帰ってこれないんだね。」お母さんの声には、失望と言うよりも、どこか諦めが混じっているように聞こえました。

 だからぼくは、聞くまいと思っていたこと、でもじつはいちばん聞きたかったことを、あなたに聞くことにしたのです。「テレビで祝賀会の中継を見なかった?」――「見ていないよ」。「それじゃあ、今晩ぼくがなぜ帰れないのか、その理由は知らないの?」――「いいえ、わたしは知らないよ」。

 でもぼくは、いまでは確信しています。お母さん、あなたはご存じだったんですね。だってあなたは、その理由をぼくに訊ねようとなさらなかったのですから。

「あす、四時間ほどからだが空くから、どこかで逢えないかな」――「それじゃあ、いまルリも出品している野外彫刻展をやっているから、あれを見にいくかい」。それで会話は終わりました。あのときは率直に、ほんとうのことを言わなくてよかった、そう思いました。ともかくあすお母さんに会える、それだけで充分だったのです。

 それから蒲団にもぐりこんで、あすお母さんにほんとうのことを話すべきかどうか、ずっと考えつづけました。でもとうとう結論は出ませんでした。考えながらも、どうしてでしょう、あなたのあの一言、「いいえ、わたしは知らないよ」が、何度でもよみがえってきて、そのたびに考えが中断されてしまうのです。昨夜は結局一睡もしませんでした。

 きょう、待ち合わせの駅であなたに十年ぶりでお目にかかったとき、ぼくが想像していた以上にお母さん、あなたが若々しかったので、ぼくはちょっと驚きました。むしろ十年まえよりも若返ったようです。ひさしぶりに会う母親が意外に若く見えるときの、息子のなんともいえない複雑な感情――面映ゆいような、妬ましいような感情を、お母さん、あなたはわかってくださらないでしょうね。

 それにぼくの、人目を避けるための帽子とサングラスを指さして、ほんとうにおかしそうに笑ったでしょう。「おかしな子だね。ちっとも似合わないよ」――なんの屈託もなさそうな、しんからおかしそうな笑いかたでした。それでますます、ぼくはわからなくなってしまったんです。あなたがほんとうは知っているのか、それとも知らないのか、を。

 都内から南西へ、丘陵地帯を走る私鉄の車内でも、郊外の駅を降りて蕎麦屋で昼を食べているあいだも、結局ぼくはほんとうのことは言えませんでした。かわりに、あの星でのとほうもない苦労のほんの一端を、ぽつりぽつりと話していましたね。

 原因不明のトラブルでコンピュータのプログラムが何度も誤作動を起こし、そのたびに不眠不休で一からプログラムを修復しなおしたこと。無重力と厳しい気象条件のなか、危険と困難をきわめた建設作業。日常茶飯事となった怪我、病気、死。それに、非人間的な環境のなかで精神に異常をきたす仲間たち。……

 もとよりあれほど常軌を逸した窮状を、想像力豊かに、雄弁に語る能力など、ぼくにはありません。進退きわまるたびに、それでもなんとか切り抜けてこられたのは、これはもう幸運だったというほかありません。いまから振り返れば、語っている自分でさえ、それが現実にあったこととは思えないほどです。お母さんはそんなぼくの話を、ことさらに驚きもせず、かさねて聞き返しもせず、ただ黙って聞いてくださいました。そんなふうにぽつりぽつりと話しているうちにぼくは、ほんとうのことは言わないほうがいい、知らせないほうがいい、そう思うようになっていました。「いいえ、わたしは知らないよ」――それでいい、そのままでいい。たとえそれが、お母さんのぼくにたいするお心づかいだとしても。


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